« 「認められたい」の正体~空虚な承認ゲームから脱するには~ | トップページ | 愛という試練~愛という暴力性を伴った信仰~ »

2012年7月26日 (木)

反哲学史~ソクラテスのアイロニー~

反哲学史/木田元/講談社学術文庫

 歴史上の人物の中で一番な有名な人は誰か。ニュートンやナポレオン、はたまたイエスキリストなど様々な答えがこの問いに対してなされるだろう。しかし、西洋哲学史上で最も有名なのは誰かと問うた時、票はソクラテスに集まるに違いない。彼の人には著作が一冊もないのに関わらず、である。その影響力は計り知れない。その生まれから2000年以上経った今でも燦然と西洋哲学史の中に輝いているソクラテス。「ソクラテス以上の知者はいない」との声を聞いたデルフォイの神託や、「悪法もまた法なり」と毒杯を煽ったことで有名なソクラテスであるが、彼は一体何をしたのだろうか。体系づけられた知識などを後の哲学者のために生み出したから有名になったのか。否、そうではない。ソクラテス自身は何かを生み出す者というよりもむしろ徹底した批判者だった。彼は全てを否定する者であったのだ。

 ソクラテスがソフィストに対して徹底した問答を挑んだのは有名である。マイケル・サンデル教授がその独特の講義形式で話題となった時、質問形式で生徒とやりとりをする彼のスタイルを「ソクラテス式問答」などと称して評価する向きもあったが、実際の問答はそんなに生易しいものではない。『ゴルギアス』や『プロタゴラス』に見られるように、自分を無知なものとしてひたすら相手に問い続け、矛盾を生じさせる。それがソクラテスの問答であった。当時のアテナイ市民はそうした彼の態度を「エイローネイアー(空とぼけ)」と呼んでいた。アイロニーには矛盾した外面と内面が構造的に存在する。例えば「君は物知りだ」と皮肉交じりに言う時、外面に現れた言葉とは裏腹に内面には知ったかぶりをしているだという思いがある。そしてアイロニストは偽装した外面に対して無責任であり、キルケゴールはそうした事態を「皮肉においては、主体は否定的に自由である」と規定している。アイロニーにはまたそれを受け取る側にも偽装した外面と内面がという同様の構造を持ち、受け取る側の自己欺瞞を明るみにするという教育的効果があるが、ソクラテスは自由な立場からソフィストの矛盾を暴いていったのだ。

 キルケゴールの評したように、ソクラテスは否定的に自由であり続け、立場を取らなかった。自分を無知だとして他の知識や実在を否定し続けたのだ。彼がそうした態度を取ったのは、知的緊張を失った当時のソフィストに問題意識を持っていたからに他ならない。ソクラテス以前の自然哲学者達はフュシスとノモス、自然と法という対立する概念の中から真理を見出そうと努力していた。しかし、やがてノモス世界のみに関心が向けられるようになり、真実在であるフュシスに対して仮象に過ぎないノモス相互の間に真偽の絶対の区別はないとするソフィスト達が現れた。実社会のノモス、つまり儀礼・慣習・法律・制度などを相対視する彼らにとって、その真実らしさは実際的有用性によって決せられた。プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」という言葉はまさにそうした相対主義の立場を示しているものである。このように真理を高いところに祭り上げて仮象に過ぎないノモス世界における利益追求に腐心するソフィスト達こそが、ソクラテスがアイロニーの刃をふるった相手であり、彼が一掃しようとしたのは世に憚る堕落したフュシス的存在論であったのだ。しかし、彼自身がそれに代わる新たな原理を持ち出すことはなかった。ソクラテスは生み出す者であるというよりむしろ否定者であったという冒頭の語はこのことを意味している。そして彼が無限否定性の刃で切り払った野にはプラトンが新たな存在論を打ち立てることとなった。こうして西洋哲学の陽は昇ったのだ。

« 「認められたい」の正体~空虚な承認ゲームから脱するには~ | トップページ | 愛という試練~愛という暴力性を伴った信仰~ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 反哲学史~ソクラテスのアイロニー~:

« 「認められたい」の正体~空虚な承認ゲームから脱するには~ | トップページ | 愛という試練~愛という暴力性を伴った信仰~ »