« 新恋愛講座~西洋と日本の恋愛観~ | トップページ | ビブリオバトル観戦記(in早稲田大学 2013/5/20) »

2012年10月25日 (木)

自分を知るための哲学入門~ソクラテス―思想史上の反逆者―~

自分を知るための哲学入門/竹田青嗣/ちくま学芸文庫

ソクラテスは思想史上の反逆者である―

 

こう書くと驚かれるかもしれない。一体ソクラテスは何をしたのだと。革命的な新たな理論でも構築したのかと。

 

しかしそうではない。むしろ逆である。ソクラテスの反逆は彼のエポケー(判断留保)から始まる。

 

エポケーとは主に現象学で使われる用語であり、あることに対する判断を留保、すなわち正否の判断を棚上げすることである。では、ソクラテスは何について判断を留保したのか。

 

それは当時のギリシャの伝統的価値観である。それは「世界はそれ自身により客観的な秩序を保って存在している」という信念であった。古代ギリシャの哲学者は「世界は何で出来ているのか」という問いに取り組んでいた。例えばタレスは万物の祖(アルケー)を水とし、アナクシマンドロスは「無限なるもの」とするなどして理論的に世界の起源と全体を説明しようと試みてきていた。その試みの前提には世界が客観的に存在しているという信念があった。

 

しかし、ソクラテスはそうした信念をエポケーしたのだ。代わってソクラテスが持っていたのは、「世界は客観的な事実として存在している」という伝統的な観念とは逆の、「世界を秩序づけるのは人間の精神(ヌース)である」という考えであった。世界はそれ自身によって秩序を保って存在するのではなく、人間の知性が世界に秩序を持たせると考えたのだ。

 

世界を秩序立てるのが人間の精神である以上、探求するのもまたこの人間の精神である。そして精神の秩序とは、いかに(善く、美しく、ほんとうに)あるかを決めるものである。つまり、真に探求すべき哲学上の問題は「真・善・美」の問題であるとした。

 

ソクラテスは人間に一番大事なことは「善く生きること」であると考えていた。そのことはプラトンの記した『パイドン』の中からうかがえる。

 

「人間自身についても、また、そのほかの何についても、何が最善であり何が最上であるかということ以外には、人間にとって探求するに値するものは何一つないことになる。」

(プラトン『パイドン』)

 

「真・善・美」という絶対的な真理が存在するというこの立場は、「反真理主義」であるポストモダンの思想から激しく批判される。何が善であるのかという問題は所詮人それぞれである、と彼らポストモダニストは主張するのだ。

 

しかし、ソクラテスは相対主義に反逆する。当時のアテネは相対主義者であるソフィストが跋扈した時代であった。彼らにとっては、人間社会には真実らしいこと以上の真理はなく、その真実らしさは実際的有効性によって決せられた。だからこそアテネのデモクラティズム(民衆政治)において弁論術を駆使して多数を獲得し、自らの利益を拡大することに腐心していたのだ。こうした時代の趨勢にソクラテスは決して乗らなかった。彼は「人間の至上の目的は善く生きることである」という信念を死ぬまで曲げずに持ち続けた。

 

当時のソクラテスの心理について竹田はこう分析する。

 

「ソクラテスが痛切に感じたのは、要するにそこではなにがほんとうに善きこと、正しいことかをきちんと問い詰めていく道すじが閉ざされている、ということである。数のための政治、数のための議論の中では、ひとびとは権力と財力につくことだけを一義とし、『ほんとう』『よいこと』『美しいもの』を求める人間の本性はすたれてしまう。これを失えば人間は単に現実的な力の論理だけに奉仕するものになる。そういうアテネの精神風土に意義を唱え、人間の『ほんとう』を追求する道すじをつけること。そういう点に彼らの思想の根本的なモチーフ(動機)があったのだ。」

(竹田『世界を知るための哲学入門』p.130

 

むろん、人間の本性は「ほんとう」や「よいこと」を追求することであるというこの考えすらも、所詮はロマンにすぎないと一笑に付されてしまうことがある。いかに相対主義を克服しようにも、それは原理的に不可能である。しかし、「真・善・美」を求める根拠が奪われてしまうと、それは生きる意欲の喪失につながる。ロマンは人の生きる糧であるからだ。

 

多様な価値観が存在し相対主義が蔓延する現代社会では、全ては平等に無価値であるという虚無感に襲われることが多くなっている。そうした中で自分自身のロマン、信念を強く保ち続けること。それはニヒリズムやシニシズムによる価値の喪失へのささやかな「反逆」となるだろう。

« 新恋愛講座~西洋と日本の恋愛観~ | トップページ | ビブリオバトル観戦記(in早稲田大学 2013/5/20) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 自分を知るための哲学入門~ソクラテス―思想史上の反逆者―~:

« 新恋愛講座~西洋と日本の恋愛観~ | トップページ | ビブリオバトル観戦記(in早稲田大学 2013/5/20) »